2009.06.30
2009.06.29
2009.06.20
プロレス
少年時代のヒーローは、初代タイガーマスクだった。金曜夜8時はプロレスの時間で、それこそかぶりついて観ていた。その後一時的に熱が冷めたこともあったが、20代半ばくらいまでは大好きだった。以降、徐々に総合格闘技の方へ興味が移り、いまは殆ど観ていない。
三沢さんの訃報を聞き、その後一週間ほど漠然と考えてきたのだが、「自分にとっての三沢」というのがいくつも思い起こされた。強烈な印象だ。ただ、ここ何年も殆ど観ていなかったのも確かで、あえて書き込まなかった。橋本さんが亡くなられたときも強烈だった。馬場さんも鶴田さんも……。
気付いたのだが、自分が観てきた選手、他の誰であっても多分同じなのだ。
プロレスを観るときに、選手の姿に自分の思いを投影させて、やられても立ち上がる姿に励まされ続けてきた。いま総合格闘技を観てるのだって同じだ。「安田が勝った」「桜庭がPRIDEに戻ってきた」「船木が」「所が」……と、観ながら感動することもしばしばある(確実に涙もろくなった)。生き様を観てるんだ。
テレビも新聞も殆ど見ていないが、ネットを見る限りでは今回の事故はとても大きく報じられたようだ。プロレスラーが体をはってやっていることが、全く関心のない人にも強く届いたと思う。それだけ大きな人だったと思う。
2009.06.14
2009.06.11
ふつう
どの書体でどのように組めば、読みやすいか。
内容によって、対象読者によって、判型によって、造本によって……。ある低度の幅を持って、相応しいものはあると思う。「使用できるフォント」かどうかという制約があるが。
本文のフォーマットを検討しているときに、「ふつうの書体にしましょう」「ふつうの組み方にしましょう」などと言われる事がある。
即座に「ふつうって何だ?」と思うが、相手の考える「ふつう」というのが、リュウミンだったり、天地左右中央に置いた版面だったりで、途方に暮れたりする。
最初にあげたようなもろもろの条件を考えて、より相応しそうなものが「ふつう」なのではないかと私は思う。その地点から考えて、あえて他の選択肢を選ぶか否かという判断をするものじゃないのかなあ。
2009.06.10
教えてもらったけど
以前、紙屋さんを交えた酒席にて「手肉感(てにくかん)」ということばを教えてもらった。用紙の手触り感を表すことばとのこと。用紙関連のひとの間で、「この紙は手肉感が云々……」などと用いるらしい。
書籍などの用紙選びでは、印刷適性と質感などを総合して考える(もちろんコストも)。質感は用紙によって本当に様々で、各所の組み合わせを考えていると、どんどん時間が過ぎてしまう。それほど多様で楽しい。
最初に戻って手肉感。
件の酒席では、意味を教わって「なるほど、いいねえ手肉感」などと同席した人が言っていたのだが、自分は絶対使用するまいと思った。精通している訳でもないのに、次の日から得意げに使い出すようなのは恥ずかしいぞ! と考えたのだった。
2009.06.04
フォーマット、いつ出来ます?
「不安だ」とかしながら、引き続き本文について。
ひとつ前のエントリーにある通り、本文の書体をどうするかは、仕事の極々初期に考える。
出力できないデータを拵えても仕方ないので、「PDFで(フォントは全て埋め込んで)の入稿は可能か」というのを確認してもらい、「できないのであれば「使用できるフォント」のリストが欲しい」というのをお願いする。私はその確認ができなければ、何となくしか仕事を始められない、と思い込んでいる。
しかし、尋ねても曖昧な返答しかないことが多い。そして漠然としたまま時間は過ぎ、「フォーマット、いつ出来ます?」的な連絡を貰ったりする。
こういうやりとりが、毎度ほんとうに残念だと感じる。
使える食材とキッチン設備が分からないのに、レシピの提案をしろと言われてるようなものだと思うけどなあ。
